Streaming@Okutama
// by 折場 捻人

アイヴズ: ピアノソナタ第2番(コンコード・ソナタ)

甘口の曲が続いていたので、ちょっと辛目のものも聴きたくなった。ということで、チャールズ・アイヴズの代表作のひとつ、『コンコード・ソナタ』である。その第2楽章『ホーソーン』を集中的にいろいろな演奏で聴いた。4つの楽章の中で最も変化に富み、技巧的に書かれたスケルツォである。

いろいろ聴いたとはいえ、やはり刷り込みの影響は大きいもので、新しめの演奏で気に入ったものは見つからなかった。その刷り込みというのが、かなり昔のロベルト・シドンの録音。今でこそこの曲にも豊富な録音があるが、40年前は簡単に買って聴くことはできなかった覚えがある。シドンの下のアルバムは、アイヴズ、ヴィラロボスの各LPに加えてガーシュウィンとマクダウェルの協奏曲のLPという、早々に廃盤になっていた3枚がCD2枚になって再発売されたもの(残念ながら2枚に収まらなかったのかヴィラロボスの『花の組曲』がカットされている)。

Charles Ives: Piano Sonata No. 2,
"Concord, Mass., 1840-1860"
Roberto Szidon (pf)
(1971)

シドンの名はかつて日本でもよく知られており熱心なファンも多かったと思われる。当時グラモフォンから多く出ていたその演奏を評して「色彩感にあふれる」などと好意的に書かれていた。やがて活躍を聞くことがなくなったと思っていたら2011年末に70歳で亡くなってしまっていた。一時期のグラモフォンの録音は低域があっさりしている印象があるが、シドンの録音では艶と湿度のある魅力的な低音が響き渡る。それだけでなく全音域で色彩を感じるのは、特有の音色のためもあるが、このアイヴズのような多層的な音楽において各パートを近景・中景・遠景という感じで巧みに弾き分けていることから来るように思われる。速度は全体に落ち着いていて特に速くはないがそれでも大変なものである。

ショパンのソナタ第3番終楽章を弾く若い頃のシドンの映像を見たことがあるが、速いパッセージでの指の上下運動量が大きく、いわゆるタイプライター弾きのようでもあるがそうではなく、指先を伸ばして蜘蛛の動きのように柔軟かつ滑らかな打鍵を行っている。これと正確かつ高速なポジション決めとによって余裕を持った太い音を出せているのだろうか。シドンは1974年に来日しているが、ホールが小さくて「耳を聾する」ほどの音量で驚かせたそうである。『ホーソーン』でもダンパー開放で蓄積した共振を讃美歌の最初の単純な和音に乗せる部分や、左手のトレモロ強奏の上で右手が4度の和音連鎖で下降してくる部分などでその音量の効果は遺憾なく発揮されている。

もう一つはマルクアンドレ・アムランの最初の録音である。アムランのインタビュー記事で、ちょっと記憶が曖昧なのだが、シドンが入れたニャターリの曲集の録音を聴いていたとかいうことが確か書かれていて、レパートリーの重なる部分もあるし、何らかの思い入れがあったかもしれない。アムランの『ホーソーン』は、今回初めて聴いたのだが、予想していたとはいえそのスピード感には驚かされた。普通は(音に現れるかはともかく)息継ぎしながら乗り越えていくようになる不規則性を伴うパッセージも容赦なく一息に弾き進め、それによってグルーヴ感と強靭さを獲得している。真ん中あたりで行進曲のパロディが出た後、ラグタイム風のシンコペーションから徐々に熱を帯び加速してクラスター和音の連打に至る部分なども凄まじい。リズムのキレがアムランならでは。やがてこの過酷とも思える展開が、社会が集団ヒステリーに至る過程と二重写しになって聴こえてくる(ただ、これは個人的に抱いたイメージでありアイヴズの意図とは異なるだろうが)。この曲には劇的な落差を楽しむ箇所が数か所あって、このクラスターの滝からドビュッシーにも似た静かな部分への推移はその中でも最も美しいものである。落差が劇的であればあるだけその美しさも増すようだ。そして、三連リズムの長い登攀のような連続からラスト1ページのカオス的頂点に至る流れも滞ることなく合理的に弾き切っていて素晴らしい。シドンとアムランとで傾向は異なるが、どちらもこの曲を把握する上で欠かせない重要な演奏だと個人的には思っている。

Charles Ives: Piano Sonata No. 2,
"Concord, Mass., 1840-1860"
Marc-André Hamelin (pf)
(1988)

(Sep. 2, 2023)