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// by 折場 捻人

ベートーヴェン: ピアノソナタ 第29番(ハンマークラヴィーア)

中学生になりたての頃だったか、まだ素直に宣伝文句に煽られてレコードを買ったりもしていた中で、当時目立っていたアシュケナージのLP(旧録音)を聴いたのが最初だった。もうそのレコードは手元にない。付属の解説の中で第4楽章の難しさについて、「冷たい大河を向こう岸まで泳ぎ切るような」といったことが確かアシュケナージ本人の言葉として書かれていたと記憶する。ピアノ音楽のさまざまな未知の側面について教えてくれたそれなりに貴重な体験であった。今その演奏を聴き返すと、デッカの妙にコロコロしたピアノの音が馴染めないのは相変わらずだし、音質もこんなに悪かったかと首をひねるものの、演奏自体の新鮮さは変わらず当時の記憶が蘇ってくるものであった。

ここで取り上げるのはアシュケナージではなく、最近まで全く知らなかったスイスの作曲家・指揮者・ピアニストであるユルク・ヴィッテンバッハによるちょっと前の録音。Wikipediaのこの曲の項で触れられていたので知ったのだが、あまり情報が見つからない。1935年生まれだからアシュケナージよりも2年上で、ごく最近、2021年に逝去。ピアノはパリ音楽院でイヴォンヌ・ルフェビュールに師事したらしい。

Ludwig v. Beethoven: Piano Sonata No. 29
in B-Flat major, Op. 106 "Hammerklavier"
Jürg Wyttenbach (pf)
(1987)

第4楽章フーガの出だしは唖然とする速さだが、それよりも声部が加わり密度が増すにつれて徐々に遅くなることの方が驚きで、常識的に「やってはいけない」部類ではないかと思えてしまう。多くのピアニストが行う自然な範囲のテンポ調整のレベルには納まっていない。それに、出だしがつい速くなってしまって修正するという感じでもなく(スタジオ録音だから当然だが)、その後二度ほどまた冒頭に近いテンポに戻しているので、確信的であるようだ。だが、このフーガの演奏でテンポの異常さに劣らず印象的なのは、何といっても声部の明瞭さである。16分音符の連続で音が団子になりがちな部分、特に低音部の粒が恐ろしく際立っている。ひょっとすると、音の分離を最優先し、それが可能な上限の速度で各部のテンポを決めているのではないだろうかなどと勝手な想像をしてしまった。そう考えると、繰り返し聴いているうちに最初は恣意的とさえ思われたテンポも、これが必然なのだとばかりに説得され、逆に造形の精密さが浮彫になって凄味が伝わってくる。

第1楽章も同様にフレーズ単位でのテンポの動かし方が自由かつ柔軟である。ト長調の副主題部において、高音部から下降するフレーズ(二箇所)など、非常に美しく弾かれている。第4楽章が声部・音の間の分離を最優先の基準にしたのだとしたら、この楽章では各フレーズが最も美しく伸びやかに響くことを基準にしてテンポが選ばれているのだろうか(そうしないピアニストなどいるのかと言われそうだが、要は硬直した発想でないということ)、などと想像しながら楽しんだ。ともかく、テクニックと集中力は凄いし、一見とんでもないようでいて考え抜かれていると見ることもでき、何より他に例のない快さを持っている。第2楽章の符点リズムがほとんど符点に聴こえないのも意図があっての改変ではと思ってしまうほど説得力がある。録音もとても鮮明だ。

なお、このアルバムの後半には作曲家としてのヴィッテンバッハの作品が並んでおり、中には一茶などの俳句に基づく『Lautkäfig(音の籠)』という作品も入っている。これはかなりとっつきにくい前衛音楽だった。そのほか武満徹の作品も録音しているようだが、配信では見つからない。

 

(May 25, 2024)