ユオン: ピアノ三重奏のための音詩『連祷(リタニア)』
少し前のことだが、おすすめアルバムに出てきた中でポップなイラストのこのジャケットが目を惹いた。スイスあたりの鉄道の景色だろうか。パウル・ユオンという初めて聞く作曲家のピアノ三重奏ばかリを集めた2枚組のアルバムである。ユオンは1872年生まれ、スイス系のロシア人だが、26歳から62歳まで人生のほとんどをベルリンで過ごし、老後は自身のルーツというべきスイスに移りそこで没した。
Paul Juon: "Litaniae",
Tondichtung für Pianoforte,
Violine und Violoncell, Op. 70
Altenberg Trio Wien
(Released 1996)
ユオンがベルリンに引っ越した1898年はビスマルクが没した年でもある。この頃からドイツ帝国はビスマルクらが築いた外交バランスを失い、第一次大戦に近づいていく。ユオンは1906年、ベルリン高等音楽院の学長だったヨアヒムに請われ作曲科教授となるが、大戦末期には東部戦線の捕虜収容所で通訳として働いたとのこと。このピアノ三重奏曲『連祷』は、ちょうどその戦争が終わった頃の1918-19年に完成したものである。第二次大戦時と異なりベルリンも戦場にこそならなかったものの、敗戦で体制が変わり、ワイマル共和国の首都として文化的には「黄金の20年代」を謳歌する前、ウィーン他からシェーンベルク、シュレーカーやツェムリンスキーが移って来る前、そしてクルト・ヴァイルがポピュラリティを得るよりも前の時代にあたる(但しシェーンベルクは1912-14年に一時ベルリンに住んだ後ウィーンに戻っている)。ベルリンは昔からコスモポリタン的都市であるためか、生粋の「ベルリンの作曲家」と呼べる作曲家は多くなく、ユオンもまた移住組ではあるものの、20世紀初頭にベルリンにどっしりと腰を据えていたこういう作曲家がいたという事実には興味深いものがある。ちなみに当時ベルリン・フィルはアルトゥール・ニキシュの代であった。
曲は単一楽章で、冒頭の動機が増殖してやがて悲劇的な波として押し寄せる最初のパート、スケルツォ風の喜ばしい雰囲気のパートに続き、弦の重音がゆっくり静かに半音階的に上下して始まる祈りを表すかのようなパートを経て、最初の波が再現される。ここはなかなか感動的な箇所である。その後、ピアノの2オクターブ分散ユニゾン和音が降りてくるまた別の静かな祈りを挟んで、それまでのモチーフが走馬燈のように散りばめられた印象的なコーダとなり、ピアノによる嬰ハ長調主和音のアルペジオで閉じられる。
モスクワ時代にユオンの師であったアレンスキーもピアノ三重奏を書いているが、3つの楽器が渾然一体となって流麗な音楽を作るアレンスキーの作風に対して、ユオンの三重奏はどちらかというと思索的な感じであまり似ていない。アルバムの最初にある第1番の三重奏曲などはロシア風のテーマで始まるのだが、背後でピアノがオスティナート風の一種無機的な伴奏音型を弾いている。これと同類のオスティナートは『連祷』にも部分的に聴ける。ユオンの特徴の一つなのかもしれない。
『連祷』の演奏がもう一つあった。ごく最近の録音である。
Paul Juon: "Litaniae",
Tondichtung für Pianoforte,
Violine und Violoncell, Op. 70
Trio Gaspard
(2022)
上のアルテンベルク・トリオ・ウィーンのアルバムがユオンのピアノ三重奏曲のみ6作品を集めているのに対し、こちらトリオ・ガスパールのものは、ベルリンゆかりの三人の作曲家によるピアノ三重奏曲がテーマで、タイトルにも『ベルリン・ストーリーズ』とそれをうたっている。メンデルスゾーン、ユオン、スカルコッタスと、異なる時期・作風の3作品を集めていて、しかもメンデルスゾーンでは第2番を選ぶなど渋い選曲である。演奏上もそれぞれのスタイルの違いをしっかりと出しており、ユオンについてはとても官能的な(部分的には少しひきつったような)旋律の歌わせ方に顕著に特徴が現れていて、悪くないと思う。ポルタメントの多用はもちろん、楽譜に指定のないグリッサンドも目立たない所で何気なく加えられている。
なお、ユオンのピアノ三重奏曲には、アルテンベルク・トリオ・ウィーンの演奏している6曲以外に、初期のピアノ曲から編曲した『小品集(Trio Miniaturen)』というものがあり、これは結構いろいろなアルバムに入っていたりするし、ヴァイオリンパートをクラリネットに置き換え可とされており、そのバージョンの録音も見つかるので、比較的知られていたのだろう。
(Jul. 29, 2023)